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僕はいま、高速道路の上を車で走っている。
時速は120キロオーバー。
近くに覆面パトカーでも潜んでいたら、間違いなく捕まってしまうだろう。
それでも、僕は焦る気持ちを抑えることができない。

助手席には、昨日まで恋人だった彼女が座っている。
そう、僕達は今日結婚した。
本当なら、晴れやかな気持ちで迎えるはずの一日は、たった一枚の手紙によって一変した。

妻はその手紙を手にしたまま、さっきからずっと泣いている。
僕はアクセルをさらに強く踏み込んだ。
妻が手にしている手紙。
そう、それは僕のたった一人の肉親である、父の遺書だった。

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息子へ

結婚おめでとう。
これを読んでいる頃は、もうお父さんは君の前から姿を消しているだろう。
幸せに育ってくれた君を見て、お父さんはもう思い残すことは無いと思った。
だから、お父さんはそろそろ、お母さんの元へ行こうと思う。

その前に、どうしても君に伝えたいことがあるので、ここに書き留めておくことにする。
そう、それは君のお母さんのことだ。

君が生まれる前、そう、お父さんがまだお母さんと出合ったばかりの頃の話だ。
お母さんは、とても優秀で聡明な人だった。当時の私はそんな彼女にものすごく惹かれた。
真面目で勉強熱心で、優しくて気配りが出来て。もう私には彼女が天使にしか見えなかった。
こうして文章に書くと照れくさくなるが、それくらいに、私にとっては彼女が全てだった。

私はいちど彼女に「付き合ってください」と告白したけど、あっさりフラれたしまった。
それでも、どうしても諦めきれなくて、何度も彼女にアタックした。
今の時代に同じことしたら、ストーカーとか言われて警察に捕まっていたかもしれない。
でも、そんな私の必死さが伝わったのか、3度目の告白で彼女はOKをくれた。

それから暫く交際が続いて、私は色んな場所で彼女と過ごした。
私も彼女も、旅行がとても好きだったから。
あるとき、私は気がついたんだ。
一人で行ったことがある場所でも、彼女と二人だと全く違った景色に見えるということを。
これは物凄い発見だと思った。景色のほうはそんなに変わっていないのに、人は心の持ちようで全く違う景色として感じ取ることが出来る。

そんな日々が続いて、私は彼女と結婚した。
そして君が彼女のお腹の中に宿ったと聞かされたとき、お父さんは喜びを感じたと同時に、大きな責任を感じたことを今でもよく覚えている。
自分たちが命を生み出したということ。
生まれてくる子供を自分達の手で育てていくということ。
それでも、お母さんと二人なら、そんな不安も希望に変えていくことが出来ると信じていた。

お母さんは君がお腹の中にいるときに、よく音楽を聴かせたり、自分で歌を唄って聴かせていた。
お腹の中にいても、外から聴こえてくる音は認識できているのだそうだ。
賢いお母さんのことだから、たぶん必死に勉強したのだろう。
お父さんもそんなお母さんのひたむきな姿に触発されて、まだ君が生まれる前だというのに教材をたくさん買った。

そして、君が生まれる日のこと。
そう、君も既に知っている通り、お母さんは君を生んでこの世を去った。

彼女が最期にお父さんの耳元で囁いた言葉は、今、これを書いているときでさえ、耳から離れずに聴こえてくる。

「ありがとう……この子を、お願いね――」

お父さんは今まで、お母さんが残してくれた言葉にすがって、君を一生懸命育ててきた。
予め買っておいた教材もちゃんと使った。それもお母さんとの約束だったような気がした。君は勉強するのを嫌がっていたけれど。
とても幸せな日々だった。日々は何事もなく過ぎていくはずだった。

けれど君が寝静まった後、一人になるとどうしても考えてしまう。
君のお母さんが、彼女がいない現実を。
辛くて、耐えられそうになくて、挫けそうになった。
何度も、何度も死を意識した。
それでも、君の寝顔を見るたびに彼女を思い出した。
君はとても彼女にそっくりだから。

君が幸せに暮らしていけるように、
君に命を託して逝ってしまった彼女の事の分まで、二人で幸せになろう。
そうやって新たに芽生えた思いで、君をここまで育ててきた。

そうして――君は大切な人と結ばれて、君だけの幸せを掴んだ。
君が初めてあの娘をお父さんに紹介してくれたときから、お父さんは心を決めていたのだと思う。

ああ、私の役目は終わったのだと。

お父さんはお母さんに報告しに行くことにする。
君は立派に育ってくれて、幸せになったのだと。
今も彼女が眠る、あの場所で――

父より

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そうして、僕はたどり着いた。母の実家がある場所だ。
そこから暫く歩いた先にある、滝が見える丘の上。そこには母の墓がある。
母は生前、この場所が好きだったのだと父から聞かされたことがある。僕にとっては数少ない母に関する思い出話だった。
だから僕は、父が行くとしたらここしかないと思った。
そもそも、僕が知っている母に繋がる手がかりは、ここしかなかったのだけど。

その予想は見事的中して、その墓の向こう側――滝が流れ落ちているギリギリの崖の上で、父は立ち尽くしていた。

「父さんッ!!」

僕は声の限り叫んだ。後ろからは妻が息を切らして追いついてきた。彼女は目の前に広がる光景を見て、青ざめた表情をしている。

「……来てしまったのか」

父は無表情な顔で僕を見た。まったく精気が感じられない。すでに心は滝つぼへ落ちてしまったみたいだった。
その身体まで、僕は絶対に落とさせはしない。

「どうして? どうしてなんだ!僕にはぜんぜん理解できない。父さんが書いたこの遺書も。そして今、父さんがしようとしていることも」

本当なら、今から自殺しようとしている人の前で、こんな声を荒げて説得するのはよくないのかもしれない。でもそれができるのは、テレビでよくある自殺しようとしている犯人を止める警官くらいなものだ。
実の父親が同じような目にあっていたら、冷静に止められるわけがない。

父さんは静かに口を開いた。

「君はお父さんの気持ちなどわかってはいけないよ。人はね、本当に相手のことを理解しようとするなら、その人と全く同じ体験をしなければいけないんだ」

父がよくわからないことを言ってきた。どこか達観しているようにも思える。
死を受け入れた人は皆、このような発言をするのだろうか。

「父さん、こんなのは理屈じゃないんだ。目の前で父親が命を落そうとしているのに、止めない息子はいないだろ? それに……どうして、どうしてこんな……今日は、僕の結婚式じゃないか。父さんと、彼女と、そしてこれから生まれてくるかもしれない孫と、新しい家族を築いていける。そんな記念日になる日じゃないかッ!」

無表情だった父が、その表情に少し反応を見せた。
それは、僕の言葉に心を動かされたのか。
もしかしたら、僕が泣きながら訴えているせいかもしれない。

「父さんが書いた文章を読んだよ。母さんのことだって、初めて知ることばかりだった。父さんは最後に、自分の役目は終わったみたいなことを書いてたけど、そんなことないだろう? 確かに父さんにとっては大切な人を、僕にとってはたった一人の母さんを失くした。でも、これからまだ生まれてくる命はあるんだよ。父さんはそれを見届けたいと思わないの?」

後ろにいる妻は、ずっと泣いているだけだった。
その心に溜め込んだ思いは、なかなか言葉にすることはできないのかもしれない。
だからこそ、僕は必死に父を説得した。言葉にして伝える役目は、ここには僕しかいないのだから。

そして――父は満面の笑みを浮かべた。
僕はそのとき、瞬間的に悟った。
あぶないって思った。
僕の言葉がちゃんと伝わってくれたんだ、なんて甘い考えは微塵も浮かんでこなかった。
父がその身体を後ろに倒すより先に、僕は動き出していた。

駆け出す。
必死で地面を蹴る。
父が後ろに倒れる。
僕の足はさらに加速する。
母の墓を越えた。
そして――

1秒にも満たない世界で僕の視界が最後に捕らえたのは、
いままで一度も見たことが無いほどに、
幸せに満ちた父の表情だった。




※ ※

3 years later


父さん。今日はね、僕達の子供が生まれたんだ。
父さんに初めての孫ができたんだよ。うれしいだろう? 
彼女も無事だよ。何の問題もない。だから安心して。
そうそう、僕も子供が生まれる前に、たくさん教材を買ってしまったんだ。
彼女は「気が早いよ」って茶化したけど、でもすぐにその理由を悟ってくれたみたいで、すぐに納得してくれたんだ。

6 years later


父さん。息子がね、ようやく言葉を発するようになったよ。
相手の感情を知るには、言葉にしないとダメだって、よく僕に聞かせてくれたよね。
父さんが僕に教えてくれたこと、理解できたような気がする。
だから、僕も同じように、この子に伝えていきたいんだ。
父さんが僕にしてくれたようにね。

12 years later


父さん。息子がね、今日友達とケンカして帰ってきたんだ。
キズだらけにして帰ってきたから、僕は思わず笑ってしまったよ。
だけど妻は急に怒り出して、相手の子の親に文句をいってやるって言いだしたんだ。
僕は必死に止めたよ。
子供同士のケンカは、たとえ殴り合いになったとしても、気が済むまでやらせたほうがいいって、父さんは言っていたよね。
僕もそう思うんだ。
人を殴ることの痛みは、人に殴られたときに感じる痛みよりも、何倍も痛いんだって。
それが分からないまま育つ人にしてはいけないって。
だから僕も、同じように教えてあげることにしたよ。

24 years later


父さん。息子がね、将来を決めた恋人を連れてきたよ。
僕は凄く喜んだけど、妻はなんか複雑な心境だったみたい。
もしあの時、母さんが生きてたら、妻と同じように僕の事を見たかもしれないね。
父さん、僕はこのとき、本当の意味で父さんの気持ちがわかったような気がするんだ。
もし、僕も妻が先にこの世を去っていたら、僕も父さんと同じ事を考えたのかもしれないって。

――人はね、本当に相手のことを理解しようとするなら、その人と全く同じ体験をしなければいけない。

それでも僕は、これから生まれてくる家族に、子供達に、自分の命は決して自分で断ってはいけないって、教えていきたいと思うんだ。

48 years later


父さん。今日はね、僕達の子供が生まれたんだ。
父さんに初めての孫ができたんだよ。うれしいだろう? 
彼女も無事だよ。何の問題もない。だから安心して。
そうそう、僕も子供が生まれる前に、たくさん教材を買ってしまったんだ。
彼女は「気が早いよ」って茶化したけど、でもすぐに……

―――――――“Succeed to intention” closed.